「私」という迷宮から抜け出す唯一の出口(羊の門)
今日は、現代の覚者アジャシャンティの動画『The Deeper Meaning of the Middle Way』をベースに、古今東西の賢者たちが口を揃えて指し示した「ある一つの真実」についてお話しします。
ラマナ・マハルシ、ブッダ、クリシュナムルティ、そしてエックハルト・トール……。 彼らの言葉を並べると、まるでパズルのピースがハマるように、アジャシャンティの語る「中道(Middle Way)」の本当の意味が浮かび上がってきます。
私たち「イワサキ内装」が掲げる「内装(内側の装い=心の在り方)」というテーマにおいて、これほど核心に迫る設計図はありません。
1. 「何かになろうとする(Becoming)」のをやめる
まず、インドの哲人クリシュナムルティが徹底して否定した**「Becoming(何かになろうとするプロセス)」**についてです。
私たちは常に、「今の自分」ではない「理想の自分」になろうと必死です。 「もっと優れた人間になりたい」「もっと悟った人間になりたい」「もっと成功したい」。 この終わりのない工事が、心の中に騒音を生み出し続けています。
動画の中でアジャシャンティはこう言います。
「何も押しのけず(Not pushing away)、何も掴もうとしない(Not grasping)。 この時、"する(Doing)"が中和される」
これが「Becoming」の終わりです。 苦しみや退屈を感じた時、私たちはすぐにそれを押しのけようとします。心地よい感覚があれば、それを掴んで離さまいとします。 しかし、それをやめてみる。ただ、そこにあることを許す。
それは、工事を放棄することではありません。 「工事をしている自分」という演技をやめることです。
2. 論理的な「気づき」のトリック
ここで、**「苦しみと退屈に気づいている」**という状態を少し論理的に分解してみましょう。
- 対象:苦しみ、退屈(気づかれているもの / オブジェクト)
- 主体:あなた(気づいているもの / サブジェクト)
論理的に考えて、「気づかれている対象(痛み)」は「気づいているあなた(意識)」そのものではありません。
『ニュー・アース』の著者エックハルト・トールはかつて、絶望の淵でこうつぶやいたと言います。 「I can't live with myself any longer.(私はもう自分自身と一緒に生きていけない)」
その瞬間、彼は雷に打たれたような衝撃と共に気づきました。 「一緒に生きていけないと言っている『私』とは誰だ? そして、嫌われている『自分自身』とは一体誰なんだ?」
この**「二人の私(偽物の自分=エゴと、それに気づいている意識=真我)」**の分離に気づくこと。 それが、内なる「解体工事」の始まりであり、覚醒の第一歩です。
3. 24時間途切れない「集中」とは?
「気づいていることに気づいている(Aware of being aware)」――ブッダや多くの覚者が言うこの言葉。 ラマナ・マハルシは**「何をしている時も、人と話している時も、自身への集中が途切れることはない」**と言いました。
これは、アジャシャンティが動画で語っていることと全く同じです。
「バス停にいる時も、誰かと話している時でさえも、何も押しのけず掴もうとしていなければ、そこは完璧な瞑想状態だ」
これは、目を閉じて洞窟に籠もるような特殊なトランス状態ではありません。 日常の喧騒の中で、打ち合わせの最中で、現場で作業しているその瞬間に、背景にある「静寂」に常にアンカーを下ろしている状態です。
これこそがヨガ・スートラで言う**「独存(カイヴァリヤ)」**。 何ものにも依存せず、ただ「在る」という絶対的な自由の境地です。
4. 「羊の門」をくぐる
聖書にあるイエス・キリストの言葉、「私は羊の門である」。 これは、自我(エゴ)という大きな荷物を背負ったままでは通れない、狭き門のメタファーとも取れます。
アジャシャンティは言います。 「押しのけず、掴まない。その場所に入ると、エゴは中和され、究極の現実(Ultimate Reality)が現れる」と。
それは一度、エゴとしての**「命を捨てる」**ことでもあります。 恐怖に聞こえるかもしれません。しかし、「自分」という古い殻を捨てた時、初めて私たちは対立のない、広大な「ワンネス(Oneness)」の中に生きることができます。
まとめ:内側のリノベーション
「中道」とは、ポジティブとネガティブの間でバランスを取ることではありません。 それは、「対立(二元性)」というゲームそのものから降りることです。
苦しみも退屈も、ただ気づく(拒絶しない)。 理想の自分を追い求めない(掴まない)。
その時、あなたは「羊の門」をくぐり、ラマナやブッダが見ていた景色と同じ場所に立っています。
私たちが行う「内装」も同じです。 古い壁紙(過去の記憶)や、不要な柱(固定観念)を取り払い、あるがままの空間の広がり(意識)に気づくこと。 それこそが、究極の「終の住処」を見つけることなのかもしれません。
Writer: Iwasaki Naisou (Thinking with AI)