エスカレーターにBCDって文字貼り付けてるだけ。
それだけの話なのに、なぜかMacBookのスペックやサドゥグルの話になった。
1. 「固定」への執着を捨てる:Planar Trackerの教訓
エスカレーターの側面に、あたかも最初からそこにあったかのように文字を貼り付ける「Planar Tracker(平面トラッカー)」。
この作業は、この世界の「法則」を理解する訓練のようだった。
ノードという「流れ」
Fusionのノード式は、一般的なレイヤー式とは根本的に異なる。「重ねる」のではなく「つなぐ」。
黄色(Background)と緑(Foreground)の入力を間違えるだけで、文字は映像の裏側に隠れて消えてしまう。この「ルール」を知らないと、永遠に「なぜ文字が映らないんだ?」と苛立つことになる。
なぜこんなに操作しづらいのか?
最初はそう思った。しかし、それは「思い通りにしたい私」と「思い通りにならないソフトウェア」の摩擦に過ぎなかった。サドゥグルが言う「Dislike(嫌悪)」というエゴの抵抗そのものだ。
同期という現象
文字がエスカレーターに吸い付く瞬間。
それは「操作している私」の意思ではなく、トラッカーが解析した「物理法則」に文字が身を委ねた結果だ。
ペンで平面を囲み、リファレンスフレームを設定し、解析ボタンを押す。すると、AIがエスカレーターの動きを追いかけ始める。その動きを PlanarTransform ノードに受け渡し、文字(Text+)を接続する。
B、C、D という文字が、エスカレーターのステップごとに、パース(遠近感)を含めて追従していく。
その瞬間、「操作している私」の意識は消え、ただ「現象」だけが残る。
▲ しょうもないBCD — エスカレーターの平面に追従する文字たち。これが「操作」から「同期」への転換点となった。
2. デジタル世界の「目に見えない住人」たち
自分のサイト(iwasaki-naisou.com)のアナリティクスを開いたとき、137人の訪問者がいることを知った。
「137人も来てるのか」と一瞬思ったが、その正体を知った時の衝撃は、ウェブの生態系を俯瞰する視点を与えてくれた。
無私のクローラー
Googlebot や BingBot といったボットたちは、エゴを持たない。ただプログラムされた役割に従って、ネットの海を巡回している。
彼らは私のサイトを検索結果に載せるために、黙々と中身を調査している「良いボット」だ。
| 名前 | 正体 | 役割 | |------|------|------| | BingBot | Microsoft (Bing) | 検索エンジン「Bing」やAI「Copilot」にサイト情報を届ける | | Googlebot | Google | Google検索の結果にサイトを表示させるために中身をチェック | | Applebot | Apple | SiriやSafariの検索候補用 | | Amazonbot | Amazon | ウェブデータの分析やAI学習用 |
「しょうもないやつ」の正体
最初は「なんだこの怪しいアクセスは?」と思っていた。しょうもないやつだと。
しかし、彼らはこの世界の「インフラ維持」を仕事にしている。彼らが来なくなったら、そのサイトは「ネット上の孤島」になってしまう。誰からも見つからない場所に。
137という数字は、「あなたのサイトが正常にネットの海に存在していて、世界中のシステムから認識されている証拠」だ。
ボットのような無私性。 人間が「個性」という重荷を脱ぎ捨てて行動するとき、このボットのような「透明な完璧さ」に近づくのかもしれない。
3. 100万円の「シャベル」と、変わらない究極
MacBook ProのM4 Max、そして128GBのメモリ。
かつてハリウッドのスタジオでしか不可能だった環境が、今や車を買うよりも安く、海外旅行に行くよりも遥かに安く手に入る。
M4 Maxの暴力的な性能
ベースモデルのM5よりも圧倒的なコア数を誇るM4 Max。
- 16コアCPU / 40コアGPU
- 128GBユニファイドメモリ
- 4画面同時出力対応
これは、UE5の複雑な演算を「摩擦(待ち時間)」なしで処理し、DaVinci Resolveで8Kの映像を滑らかに扱うための「暴力」だ。
しかし。
待ち時間という修行
エックハルト・トールの教えによれば、その「待ち時間やエラー」こそが、私たちを「今」に繋ぎ止める正気への道でもある。
効率化して摩擦を消すことは、修行の機会を奪うことかもしれない。
"When you live in complete acceptance of what is, which is the only sane way to live, there is no good or bad in your life." — Eckhart Tolle
道具への諦念
100万円を払って「究極(Ultimate)」が手に入るなら安いものだ。絶対に買う。
しかし、実際には何も変わらない。Macを買っても私は私のままだ。
サドゥグルが言うように、もし何かの「条件」で究極が達成できるなら、それは究極ではない。
だからこそ、それを「衝動」ではなく「ただそこにある便利なシャベル」として拾うかどうか、という静かな選択が生まれる。
Don't push away. Don't grasp.
焦らない。高揚しない。エキサイトしない。つまらない。くだらない。買うかもしれないし、買わないかもしれない。衝動買いはしない。
開封した日の一日の興奮ほど、愚かなことはない。
4. すべてが「マージ」していく未来
Unreal Engine 5.5(UE5)、映像AI、そしてゲーム制作。
これらはもはや別物ではなく、一つの「概念」にマージされつつある。
切り出し方の違い
- ゲームエンジンが世界の「法則」を作る
- AIがその世界の「中身(アセット)」を埋める
- 映像は、その世界を特定のカメラアングルで「切り出した」結果に過ぎない
ゲームも映像もアートも、本質的には同じ3D空間データの解釈に過ぎない。
ドンキーコング バナンザも、ハリウッドの超大作も、私がエスカレーターに貼り付けた「B・C・D」の文字も、すべては虚空に光の粒を並べているだけだ。
個人開発の意味
AIが数秒で高品質な作品を生成する時代。
個人が「知識」を積み上げて何かを作ることに、世間的な意味はほとんどない。知識や経験をいくら積み上げても、∞(無限)には到達できない。
しかし、この世界にいる限りは、やることはやる。
それでもなお、エスカレーターの文字を追従させ、UE5で光を操るのは、それが「自分という存在の実験」であり、究極の暇つぶしだからだ。
結論:ハリウッドも、ホームレスも同じ
究極的な視点に立てば、私たちが何を作ろうが、どんなスペックのPCを使おうが、生命のエネルギーの現れとしては等価だ。
ハリウッドの監督が何十億円もの予算を動かして完璧な映像を撮ることも、路上で本能に従っている人も、ただの「動き」だ。
サドゥグルが説くように、私たちの「個性(パーソナリティ)」は状況に応じて付け替えるべき仮面に過ぎない。
「変容(Transformation)」とは、古い自分が跡形もなく消え去り、全く新しい何かが起こること。
「映像作品を作りたいわけではない」と言い切れる自由。 「何も変わらないし、それでいい」と100万円の投資を前にして静止できる強さ。
知識を積み上げても∞には到達できないが、この世界にいる限り、私たちは目の前の「エスカレーターの文字」を整え続ける。それは「やるべきだからやる」という、透明な意思の結果だ。
さて、この「下らないけれど面白い世界」をもう少しだけ高解像度で観察するために、あのシャベル(Mac)を拾うべきタイミングは、いつやってくるのだろうか。
おそらく、答えは「今」しかない。そして「今」は、買っても買わなくても、そこにある。
Dissolved by Iwasaki (The Digital Craftsman)