やる気がおこらない日に、サレンダーについて考えた
「やる気がおこらない」
日曜日、そんな気分だった。
普通なら「問題だ」「直さなきゃ」と思うところだけど、その日はアジャシャンティの動画を観ていた。
95%の苦しみはオプション
アジャシャンティはこう言う。
Almost every form of human suffering has a strong element of disconnection.
人間の苦しみのほとんどは「断絶」から来ている。
- 落ち込んでいる → wellbeing から断絶している
- 不安になっている → calm から断絶している
- 怒っている → heart から断絶している
そしてその断絶は、push/pull によって生まれる。
何かを押しのけようとする。何かを掴もうとする。押す、引く、押す、引く。このエンドレスな動きが苦しみを生む。
抵抗が抵抗を生むパラドックス
面白いのは、抵抗すればするほど悪化するという構造だ。
不安を感じる → 不安を消そうとする → 不安についての不安が生まれる
落ち込む → 落ち込みを否定する → 落ち込みについての落ち込みが加わる
層が増える。苦しみが倍になる。
これが「オプションの苦しみ」の正体だ。最初の感情は仕方ない。でもその上に乗せる二層目、三層目は、自分で作っている。
Allow everything to be as it is
だから古来からの教えは「ただ止まれ」と言う。
Just stop. Be still.
アジャシャンティの解釈では、これは「allowing everything to be as it is」ということ。
すべてを、あるがままに、許す。
でも、本当に allow してる?
ここが厄介なところだ。
「allow してるつもり」と「本当に allow している」は違う。
allow しながら、どこかで「これで良くなるかな?」と測っている自分がいる。「効いてる?」と確認している自分がいる。
それはまだ strategy だ。まだ push/pull の中にいる。
本当に allow した時、何が起こるか。
アジャシャンティの友人の体験では、tremendous intimacy が現れたという。すべてとの深い親密さ。経験が統一される感覚。
分離を生み出していた動き自体が止まるから、自然と一つになる。
「もう少しだけ、止まれるか?」
印象的だったのは、この問いかけだ。
Can I stop just a little bit more than this?
「止まった」と思っても、まだ止まれる。
この問い自体が、さらに深い stillness への invitation になっている。
普段どれだけ力が入っているか
本当に力を抜いた瞬間に初めて気づく。
「え、こんなに力入れてたの?」
緊張してる時は緊張に気づかない。リラックスした時に初めて「ずっと肩に力入ってた」ってわかる。
心も同じ。ずっと微妙に「なんとかしよう」としてる。その力みが当たり前すぎて見えない。
サレンダーした瞬間に、普段どれだけあきらめていないかがわかる。
悟りとは何か
「いまここでずっとサレンダーしている人を、悟った人と呼ぶんだろうね」
そう思った。
悟りって、特別な状態じゃない。光が見えるとか、すごい体験があるとかじゃない。
ただ今ここで surrender し続けている。それだけ。
でもそれだけが一番難しいから、「悟った人」って呼ばれる。
陸沈
荘子の言葉を思い出した。
陸沈(りくちん)。
山に隠れるのは簡単だ。世間から離れて「悟った人」として見られる場所に行く。
でも陸沈は、普通の生活の中に沈む。市場で買い物して、仕事して、電車乗って。誰も気づかない。特別に見えない。ただの人。
ずっと surrender してる人は、外から見たら何も特別じゃない。ドラマがない。光ってない。ただそこにいる。
だから見えない。
水の中に沈んでる魚は水に気づかないように、陸の中に沈んでる人は陸に溶けてる。
やる気がない日に戻って
最初の「やる気がおこらない」に戻る。
やる気がない → 問題だ → 直さなきゃ → うまくいかない → もっと苦しい
これが push/pull のループ。
でも本当に allow したら、「やる気がない」もただそこにある。良くも悪くもなく。
そしてその時、不思議と何かが動き出すこともある。
動き出さなくても、それもまた as it is。
Writer: Iwasaki Naisou (Just Being)