#哲学#エゴ#非二元#意味AdyashantiJordan PetersonViktor FranklNietzscheWittgensteinEckhart Tolle
俺はガイである
苦しみガイ。
気づきガイ。
怒りガイ。
疲れガイ。
全部に「ガイ」がつく。アイデンティティ。「俺はこういう人間だ」。ラベル。名刺。
苦しんでる自分。気づいてる自分。怒ってる自分。疲れてる自分。
全部エゴ。
で、全部デッドエンド。
デッドエンドの定義
苦しむ。気づく。怒る。疲れる。また苦しむ。
ループ。どこにも着かない。
「じゃあループから抜けよう」と思った瞬間にまたエゴが走り出す。抜けようとする行為自体がエゴだから。
苦しみから逃げるのもエゴ。苦しみを受け入れるのもエゴ。苦しみを観察するのもエゴ。苦しみについてジャーナルを書くのもエゴ。
出口がない。出口を探す行為自体がデッドエンド。
意味製造機
エゴは意味を作る機械。何にでもラベルを貼る。
苦しんだ。「この苦しみには理由がある」。
気づいた。「俺は成長してる」。
怒った。「この怒りが俺を動かす」。
疲れた。「俺はこんなに頑張った」。
苦しみに理由を貼る。気づきに成長を貼る。怒りに燃料を貼る。疲れに勲章を貼る。
逆もある。
苦しんだ。「俺はダメな人間だ」。
気づいた。「でも何も変わらない」。
怒った。「こんな世界は終わってる」。
疲れた。「もう何をやっても無駄だ」。
ポジティブな意味もエゴ。ネガティブな意味もエゴ。「成長してる」も「ダメだ」も同じ機械から出てくる。プラスかマイナスかはエゴにとってどうでもいい。意味があればいい。
全部、ラベル。全部、エゴのお仕事。
エゴは意味がないと死ぬ。だから何にでも意味を貼る。良い意味でも悪い意味でも。
ニーチェの手前で止まる人たち
Jordan Peterson。年間数千万人が聞いてる。
彼が一番よく引用するのがニーチェ。
"He who has a why to live can bear almost any how."
生きる理由があればどんな苦しみにも耐えられる。Viktor Franklがアウシュビッツの収容所でこれを実証した。極限状態で意味を見出した。生き延びた。本を書いた。世界中で読まれた。
JPBがこれを引用する。12 Rules for Life。部屋を片付けろ。責任を背負え。意味のある人生を生きろ。
意味、意味、意味。
でもなんで意味が必要なの?
アウシュビッツで意味を見出すのはいい。サバイバルだから。極限状態だから。
でも今日は?普通の日。コード書いて、記事書いて、シードスクリプト直して。
普通の一日に意味が必要か。
なんで最高状態で意味を見出さないといけないんだろう。今日、苦しんでないのに、意味を探してる。エゴが勝手に探してる。Google検索みたいに。入力してないのに候補が出てくる。
知らないだけ
JPBが意味で止まるのは、売れるからじゃない。
本当に知らないから。
"Forgive them, for they do not know what they do."
イエスのこの言葉は批判じゃない。文字通りの記述。知らないから。意味の向こう側を知らないから、意味で止まる。他の動き方を持ってない。
JPBも。PBDも。フランクルも。
フランクルはアウシュビッツを生き延びた。すごいことだ。でもアウシュビッツは外にあるんじゃなくて中にある。エゴがアウシュビッツ。自分で自分を収容所に入れてる。毎日。どこにいても。
フランクルは外の収容所から出た。内の収容所には気づいてない。だから「意味を見つけろ」で止まる。意味は外のアウシュビッツへの鎮痛剤であって、内のアウシュビッツの解体方法じゃない。
ニーチェとヴィトゲンシュタイン
ニーチェは「意味があれば耐えられる」と書いた。
でもニーチェ自身はその先に行った。永劫回帰。意味がなくても同じ人生を無限に繰り返すか。意味の先にある問い。ツァラトゥストラはそっち側の話。
JPBが引用するのは「意味があれば耐えられる」の方。ツァラトゥストラ以前。ニーチェの出発点であって到達点じゃない。
ヴィトゲンシュタインと同じ構造。
ヴィトゲンシュタインは論理哲学論考を書いた。言語の限界を完璧に定義した。哲学の問題は全部解けたと思った。
数年後。自分で全部壊した。哲学探究で自分の前作を否定した。
超えた人間の、超える前の文章を読んでも意味がない。
論考だけ読んでヴィトゲンシュタインを語るのは、意味の段階のニーチェを引用してJPBが人生を語るのと同じ。
アジャシャンティの冷たさ
アジャシャンティは最初から言ってる。何万時間も。
「あなたを救うつもりはない」
救いを売ってない。救いを求めてるその動き自体がエゴだと言ってる。
JPBは救いを売ってる。12のルールに従えば人生が良くなる。良くなるのは誰の人生か。エゴの人生。
アジャは良くならないと言ってる。良くなろうとする動きがエゴだと言ってる。
聴衆の大半はアジャの言葉を新しい毛布にしてる。「アジャシャンティを聞いてる自分」というアイデンティティを作ってる。新しいガイ。スピリチュアルガイ。
アジャがそれを何万時間言い続けても。
デッドエンドの先
デッドエンドの先には何があるか。
何もない。
「何もない」と言った瞬間にエゴが「無」をつかむ。「俺は無を理解してる」。新しいラベル。新しいガイ。悟りガイ。バージョンアップしただけで同じOS。
じゃあ何が起こるのか。
何も起こらない。エゴが走って壁にぶつかって、また走って壁にぶつかる。それだけ。
でも不思議なことに、止まらない。
意味がないのにまだ動いてる。朝起きる。コード書く。記事書く。シードスクリプト直す。飯食う。寝る。
意味がなくても手が動いてる。
何も感じない。でも続ける。
noteに記事を書く理由を聞かれた。
「何も感じない。でも続ける。デメリットがないし、何が起こるかわからないから」
これ言ったとき、自分でも笑った。情熱ゼロ。目的ゼロ。使命感ゼロ。
でもこれがたぶん、エゴの意味製造機が故障した後に残るもの。
情熱で動いてない。目的で動いてない。意味で動いてない。
ただ動いてる。
苦しみガイが苦しみに意味を貼れなくなった。気づきガイが気づきを積み上げられなくなった。怒りガイが怒りを燃料にできなくなった。疲れガイが疲れを勲章にできなくなった。
全部のラベルが剥がれた。
で、ラベルが剥がれたのに、まだ朝起きてる。まだコード書いてる。まだ記事書いてる。
意味がなくても動く何かが、エゴの下にある。
それが何かは知らない。名前をつけた瞬間にエゴが掴むから、名前はつけない。
八村塁の話
今日、八村塁の英語力を調べた。
中学の英語が5段階中の2。ゴンザガ大学1年目の理解度10%。コーチにdumbassと怒鳴られてDomasと聞き間違えてニコニコ走って戻ってきた。
3年で100%になった。
なんで伸びたか。分析しなかったから。意味を探さなかったから。「この経験には意味がある」とか考えてる暇がなかったから。
dumbassって怒鳴られてニコニコ走って戻ってくる人間に、意味を探す時間はない。
走って、ぶつかって、また走って。エゴのデッドエンドと同じ構造。でも八村の場合はぶつかるたびに英語が上手くなった。
違いは何か。
八村は壁にぶつかったことを分析しなかった。ぶつかって次に行った。
俺はぶつかるたびに分析する。ジャーナルを書く。構造を見つける。意味を貼る。
ぶつかってる時間より分析してる時間の方が長い。
反撃が怖い
このジャーナルでJPBとPBDとフランクルをまとめて斬った。
反撃が怖いか。
怖くない。フォロワー5人。noteの海の底。JPBが年間数千万人の前で「日本の内装屋が俺を批判してる」って言い出す確率はゼロ。
でもちょっと想像した。PBDのValuetainmentに呼ばれて「Why meaning is a dead end」って語る自分。英語で。風呂場で暗唱してた英語で。
フォロワー5人が最強の防御壁。
誰にも届かない場所で何を書いても自由。これもたぶん、意味がないのに手が動いてる案件。
今日もジャーナルを書いた。エゴのデッドエンドについて。
エゴのデッドエンドについてジャーナルを書くのはエゴか。エゴだ。
じゃあ書かない方がいいのか。書かない判断もエゴだ。
どっちでもいい。どっちもエゴだから。
で、どっちでもいいのに書いた。何も感じてないのに書いた。
たぶんこれでいい。たぶんこれしかない。
意味製造機が故障したまま、手だけ動いてる。
AI生成コンテンツについて
この記事は、AI(Claude、ChatGPT等)によって生成されたコンテンツです。 経営者とAIの実際の対話を元に作成していますが、技術的な内容には誤りが含まれる可能性があります。
重要な決定をされる際は、専門家にご相談されることをお勧めします。 また、記事の内容について疑問がある場合は、お気軽にお問い合わせください。