#哲学#言語学#ヨーガ#アイデンティティPellegrinobits/secSOVvrttinirodhaAdyashanti
日本語は遅いのか
重複データを掃除してた。82件。ページの名前を変えた。seedを5日分書いた。
その合間に、ふと思った。
日本語はなぜこんなに遅く感じるのか。
自分が日本語を喋ってるとき。遅いとは思わない。でも英語と並べた瞬間、遅さが見える。
両方から遅い
前に調べた研究がある。Pellegrino 2011。日本語も英語も情報伝達量は同じ。約39 bits/sec。
音節が多い分、1音節あたりの密度が低い。英語は音節が少ないけど1個が重い。だから速度が違って聞こえるだけで、伝わる情報の総量は同じ。
......と思ってた。
でも今日、気づいた。
日本人にとって日本語は遅い。英語ネイティブにとっても日本語は遅い。
両方から遅いって言われてるなら、それは遅い。
39 bits/secが同じだって言っても、体感と合わない。
バッファリング
なぜ遅く感じるか。
英語: 結論 → 理由 → 補足。頭から使える。
日本語: 補足 → 理由 → 結論。最後まで聞かないとわからない。
SOV。動詞が最後に来る。
"I don't think that's going to work." -- 3語目でもう否定がわかる。
"それはちょっとうまくいかないんじゃないかなと思うんですけど" -- 最後の「思うんですけど」まで確定しない。
同じ39 bitsでも、使える情報が手元に届くタイミングが違う。
英語は1秒目から使える。日本語は全部聞き終わるまでバッファに溜まってる。
遅いんじゃなくて、遅届き。
その研究、間違ってない?
ここで自分にツッコミが入った。
Pellegrinoの測り方。文全体が伝わった時点での総量。完走すれば同じ距離。
でも途中経過でどれだけ使えるかは測ってない。
英語は走りながら食える弁当。日本語は座って箸出して「いただきます」してからやっと食える弁当。
カロリーは同じ。でも腹が膨れるタイミングが違う。
遅届きのコストを計算に入れてない。
be here now
ここで自分が何をやってるか見えた。
日本語は遅い。英語は速い。情報密度がどうの。SOVがどうの。Pellegrinoがどうの。
全部vrtti。
ヨーガ・スートラ 1.2。yogas citta-vrtti-nirodhah。ヨーガとは心の作用の止滅である。
citta = 心。vrtti = 波立ち。nirodha = 止めること。
心が波立ってる。日本語と英語を比較して、測って、分析して、ラベルを貼って。研究を引っ張ってきて、反論して。
全部波。
止めたらどうなるか
心の波を止める。nirodha。
止まったら何が見えるか。波がなくなった水面の底に、本当の自分がいる。波は全部借り物。
......と言う。ヨーガ・スートラは。
でも。
心を止めたら英語の勉強も止まる。
「日本語が遅い理由を分析する」のは心の波。「英語の情報密度を測る」のも心の波。「39 bits/secの研究を疑う」のも波。
全部止めたら、もう何もやることがない。
人生終了マニュアル
ヨーガ・スートラは人生終了マニュアルとも読める。
心の波を全部止めろ。分析するな。比較するな。判断するな。
止めたら何が残る?
呼吸。心臓の鼓動。それだけ。
でも俺は今日、82件の重複データを消した。seedを25件書いた。ページの名前を3回変えた。vrtti全開。
アジャシャンティの逆転
ここでアジャシャンティが入ってくる。
心が止まったあとも、体は動き続ける。
止まるのは心であって、体じゃない。呼吸するし、飯食うし、コード書くし、gorokuのseed作る。
つまり止滅のあとは「やることがない」んじゃなくて、やってるけど誰もやってない。
波が止まった水面に、風が吹けばまた波が立つ。でもそれは水底を見た後の波。前と同じ波でも、質が違う。
八村塁とvrtti
前に書いた。八村塁はdumbassを聞き間違えてニコニコ走って帰ってきた。3年で英語が100%になった。
八村は分析しなかった。「英語が速い理由」を調べなかった。「日本語のSOV構造」を論じなかった。Pellegrinoの論文を読まなかった。
八村のvrtti: ゼロ。
俺のvrtti: ジャーナル127本。
心なしで喋れるか
じゃあ心を止めて英語を喋れるのか。
子供は喋れる。赤ちゃんは分析なしで母語を獲得する。心のvrtti以前に、体が音を拾って、口が真似して、回路が育つ。
言語習得の本体は体。心じゃない。
心は後から意味をつける装置。「あ、この構文はSVOだ」「この前置詞はatじゃなくてinだ」「日本語より情報密度が高い」。
全部後付け。全部vrtti。
八村の体は英語を覚えた。俺の心は英語を分析した。
体は窓を通った。心は窓の設計図を書いた。
分析するvrtti、分析しないvrtti
ここで矛盾。
このジャーナルを書いてる行為も vrtti。「vrtti に気づいた」という気づきも vrtti。「分析は波だ」と分析してるのも波。
メタ分析の無限後退。
でも、面白いのは。
この無限後退を自覚してると、波の乗り方が変わる。
波に飲まれてるのと、波に乗ってるのは違う。サーファーは波を止めない。波を使う。
止滅がゴールなんじゃなくて、波との関係が変わるのがゴールなのかもしれない。
......それもvrtti。
結論なし
結論を書こうとした。また波が立つ。
日本語は遅い。遅届き。バッファリング言語。それは事実かもしれない。
でもその「事実」を発見する行為が vrtti で、vrtti を止めることが yoga で、止めたら英語の勉強も止まって、でも体は動き続けて、心なしで喋れるかもしれなくて。
八村は心なしで喋れた。俺は心ありで127本書いた。
どっちが正解とかない。
be here now。
今ここにいる。波を立ててる自覚ありで。
noteの戦略を考えてたら証明された
夜。noteのPVデータを見てた。
アスリートシリーズが全体の77%。大谷翔平だけで21%。構造分析系の記事は合計27ビュー。大谷1本の3分の1以下。
名前 = アクセス。名前がない記事は存在しないのと同じ。
じゃあ名前に寄生すればいい。八村塁の記事を出す。渡辺直美の英語を書く。アクセスが取れるタイトルを量産する。
......でも、それは違う。
しっかりした考えを書いた方が長期的にいい。考えが核にあって、それを体現してる人物を見つける。名前はテーゼの証拠であって、入口じゃない。
大谷翔平の記事が伸びたのは名前のおかげじゃない。英語を必要としていない というテーゼが面白いから。テーゼまで考え抜いたから7スキついた。名前だけ並べた記事なら3ビューで終わってる。
つまりvrtti(分析)が、そのまま記事の質になってる。
考えるとは苦労すること。
八村は考えずに英語を手に入れた。俺は考えて考えて考えて、noteの記事を手に入れた。
考えないやつは楽。でも何も残らない。
vrtti全開で苦しんだ時間が、そのまま文章の密度になる。
分析は英語力にならない。でも文章力にはなる。127本のジャーナルは英語を1ミリも上達させなかったけど、noteの記事を書く筋力にはなった。
波は無駄じゃなかった。波の使い道が違っただけ。
英語のためにvrtti回してたら、noteの弾薬が育ってた。
目的と結果がずれてる。でも結果はゼロじゃない。
......これもvrtti。
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