屋根の上の81歳
その日の先生は、疲れていた。前の日、屋根の上で一日中、補修をしていたという。81歳が、だ。
この歳で屋根の上の作業はよくないんだけどね。バランス感覚が心配で。昔は命綱一本で平気だったんだけど、今はさすがに、ね。
専門家に頼めばいい、と俺は言った。先生の返事が、この国の全部を先に言っていた。
専門家は金がかかる。自分でできると思うことは、自分でやる。
この一言を、25分後にもう一度思い出すことになる。
「重い話は今日はしんどい」
俺はその日、英検の準備をする気力がなかった。2分で一つのトピックに理由を三つ、あれは脳が焼き切れる。だから先生の国の話を聞かせてくれ、と振った。すると先生は、昨日の話を始めた。
昨日はデモで、みんな気が気じゃなかった。不法移民に抗議する行進が、国じゅうの街であってね。
外国人に、国を出ていく期限が切られている。アフリカの国々が自国民を呼び戻し始めている、と先生は言った。
「移民を追い出すと、店が消える」
ここで先生が、一番おもしろいことを言った。
移民を追い出した瞬間に、後悔するんだ。なぜなら、小さな店を上手く回してたのは、たいてい彼らだったから。
外国人が成功する。だから地元民が妬む。だから追い出す。追い出すと、買う店がなくなる。あとで調べたら、これは体感じゃなく事実だった。OECDは、移民が南アのGDPの約9%を生んでいると推計している。低賃金で、文句を言わず、勤勉に働く。問題は移民じゃなくて、彼らを安く使う側と、失業率40%超という国の底なんだ。
先生は「300人が死んだ」と言った。これは少しズレていた。その数字は昨日のことじゃなく、2021年の大暴動の記憶だ。あのとき本当に350人以上が死んだ。今回の死者は4人前後。25分の会話の中で、二つの年が一つに溶けていた。当事者の記憶は、統計みたいにきれいには並ばない。
「合法な人間が、違法なことをやっていた」
先生は、奇妙な光景を教えてくれた。合法な黒人の南アフリカ人が、家々を戸別に回って、移民を探していた、と。
家に入って書類を見せろと迫るのは、違法なんだ。警察しかできない。だから、彼らはたくさん逮捕された。
合法な市民が、違法な取り締まりをする。これを聞いて俺は、口には出さなかったけど、アパルトヘイト時代に黒人が持たされた通行証を思い出した。papers。書類。この国では、紙が人の生き死にを決める。
国境は、想像上の線
話は、なぜこんなに民族がぶつかるのか、に流れた。俺は素朴に聞いた。国境って、人が引いた線でしょう。だったら、何を基準に引いたんですか。川とか、山とか。先生の答えは、静かだけど重かった。
たいていは、ある点から別の点へ引いた、想像上の線だよ。
山でも川でもない。定規で引いた直線。1884年のベルリン会議で、ヨーロッパの列強がアフリカの地図を分けたとき、そこにアフリカ人は一人もいなかった。民族も、王国も、言語も無視して、線が引かれた。だから一つの民族が二つに割れ、敵同士が一つの箱に押し込まれた。
ルワンダの虐殺も、元は一つだった民族が、国境で分けられたから起きたようなものだ。
先生はそう言った。方向は合っている。ただ正確には、フツとツチは同じ言葉を話し、同じ土地に住んでいた。分けたのは国境というより、植民地が後から貼りつけた「民族」という固い壁だった。全員に、民族を書いた身分証を持たせて。ここでも、papers だ。
先住民は、誰だったのか
先生は、この地に最初に住んでいたのはサン、ブッシュメンだと言った。白人が1600年代に来たとき、そこにいた人々。半分は正しい。正確には、狩猟採集民のサンと、牛を飼う牧畜民のコイコイ。合わせてコイサン。クリック音を使う、世界でも珍しい言葉を話す人たち。
今の南アの黒人の多く——ズールーも、コーサも——は、実は後から南下してきたバントゥー系の子孫だ。ズールーはシャカという王のもとで軍事的に突出した。先生の言う通りだ。ただ「シャカが百万人殺した」という古い話は、今の歴史家は割り引いて聞く。
結論: 屋根の上の一言が、全部だった
専門家は金がかかる。自分でできることは、自分でやる。
先生が屋根の上で言ったこの一言は、そのまま国の話だった。水道は3ヶ月出ない。道路の穴は1年直らない。ヨハネスブルグでは水道管が1日に144本も破裂している。役所は当てにならない。だから81歳が、自分で屋根に登る。
英語を習いに行って、俺はまた、一つの国の骨格を持って帰ってきた。ニュースは「南アでデモ」としか言わない。でも、屋根の上の81歳の声で聞くと、それは締め切りと、書類と、想像上の線の話だった。
たぶん、合ってる。